最近の日本語論争について
私が雑文集「ろまねすくのコーヒータイム」に折に触れて書き留めてきた「雑感」に、もう二十年間は続いてきた『日本語論争』に関連して、「変だぞNHKの放送用語」という一文を草したことがあった。
そのきっかけは、低年齢化した売春についての放送で、「売買春」のことを伝えるのに、売春を「バイシュン」といい「買春」を「カイシュン」と言ったことであった。「売買春」は昔から「バイバイシュン」であり、売春も買春も音に出せば「バイシュン」だと思っていた。買春を「カイシュン」とNHKのアナウンサーが発音したのを聞いて、私は飛び上がってびっくりした。それまで、NHKの放送用語は美しい日本語の基準だと信じていたのに、ひどく裏切られた気分だった。
続いて、菅原道真公が大宰府に配流されたときに読まれた有名な歌。
「東風吹かば 思い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」…を、NHKのアナは、
「東風吹かば 思い起こせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」…と紹介、ウヌヌヌ、勝手に人の著作を改変している。何の権利があってNHKは勝手気ままな振る舞いをするのか、と気分を壊し爾来NHKは信用しないことにした。
これには当用漢字を作り美しい日本語を壊してきた国語審議会に対する反感もあったと思う。漢字の制限ばかりか、美しくない言い換えなどもカンに触っていた。加えて一部の若者から発した「ら抜き言葉」の蔓延も日本語の美しさを壊す行為だとの思いも有る。私は死ぬまで「ら抜き言葉」は使うまいと考えていた。
作家の中でも井上ひさし氏や丸谷才一氏は、現在の時点での美しい日本語に固執されていて、若者言葉や暗号めいた簡略語…を排されているようで心強かった。しかし「ら抜き言葉」は大学教授やその他の知識人にもじわじわと浸透し、急速な広がりを見せている。先に挙げた国語審議会の委員の中にも、言葉というものは変わって行くものである、と言う立場の人もいる。
どこから近代というかはさて置いて、明治に入ってから言文一致、書信の候文、やはり大きかったのは文語体から口語体への以降は一番大きな文体の変化を齎したものではないかと考える。私は旧制中学まで旧仮名遣いで過ごしてきたが、案外早く新仮名遣いには慣れたが、当用漢字には今でも強い反感を抱いている。漢字一文字ひと文字にはそれぞれ意味とともに、雰囲気といおうか固有の味わいがあり、文脈の中で出来るだけ多様に使い分けたいと思っている。
寂しい 淋しい 寥しい
喜び 慶び 悦び 歓び
など、その時の自分の感情を表す言葉も使い分けたいと思っている。
ここから、今まで連綿と綴ってきたものと、がらっと変わる。
実は、内田百閒〔1880~1971〕という「百鬼園随筆」という著書でもよく知られた随筆家が昭和26年から昭和30年まで、小説新潮、文芸春秋などに書いている「第一阿呆列車」から「第三阿呆列車」まで、列車で目的地点まで行き、観光も見物もするでなし、ただ列車旅のことのみを綴った旅行記が、新潮文庫から出たので、一つ読んでみようかなと思った。だが吃驚仰天、年代からみてちょっと古い文体だろうな…とは思っていたが。なんと昭和2年生まれで旧かな使いには馴れていても、その用語、文章いささか違和感があり過ぎた。
まず、どんな文体で書かれているものかを「第一阿呆列車」の冒頭の部分を引用する。
『阿呆と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分は勿論阿呆だなどとは考えていない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪に行ってこようと思う。』
と言う風に始まる。思ったより古臭い、旧かな遣いの文章ではないが、内田百閒氏独特の考え方の一端がにじみ出ているように感じられた。だが、3冊を読み進んでゆくうちに、百閒氏の用語に現代の文章には見られない言葉遣いが眼を惹くようになる。
● 私の胸中すでに成竹がある。〔成算?〕
● 六ずかしい 〔難しい〕
● 「歩廊」〔この場合はプラットホームのこと〕
● 靠れる 〔よりりかかる〕
● ボイ →ボーイ ホオル →ホール トウスト →トースト コムパアト →コンパート などのかな書きの表記の仕方
● 障碍 →障害の常用外の漢字
● 了諾を得て →承諾を得て
● 成る可く →成るべく
● その所為だ →そのせいだ 〔今どき所為は余り使わないだろう〕
● 到頭 →とうとう
● 雨が小熄みになって 〔雨が小止みになって〕
● 雨上がりの雲が段だらになって
● いっそ長夜の飲と行くか
● 足頸〔足首〕
● 隣の一等車の座席に遷座して〔隣の一等車の座席に移って〕
● 雨が降り灑ぐ 〔雨が降り注ぐ〕
● 噪音 〔騒音〕
● 由由敷一大事 〔由由しき一大事〕
もうやめた止めた。初めて読んだときに気になった言い回しや用語をこの稿を書くとき3巻から拾おうとページを繰ったが、なかなか見つからないもの。
日本語の文体について書いているうちに、妙な所に迷い込んでしまった。事の序でに内田百閒氏の人称にも触れておく。氏は知人、友人、旅の途中で世話になった人物の誰一人実名を挙げていない。親しい人物はその人物の印象で綽名を付けている。まず「阿呆列車」にいつも誘っている人物は、どうしたことか「国有鉄道にヒマラヤ山系と呼ぶ職員がいて年来の入魂である」年は若いし邪魔にもならぬから、と云っては山系先生に失礼ではあるが、彼に同行を願おうかと思う。…と旅支度の荷物持ちからキップの手配まで面倒をかけている。
その他、編集者の椰子君〔ひょろりと背が高いのか〕、交阯君〔知人〕、夢袋さん〔国鉄職員、百閒先生の「阿呆列車」の際には几帳面にプラットホームまでやってきて見送り、出迎えをする。その時々で見送亭夢袋さんになり、出迎亭夢袋さんになる〕状阡君〔知人〕。垂逸君〔タレソレクン、初めて会った人〕、何樫君〔ナニガシクン、初めての人〕は 誰それ、何某のもじりらしい。懸念仏という名前も出てくる。
まだまだ全てを尽くしていないか面倒なので、ここで打ち止め。
私は長らく現代の文体が一番美しいと信じていたが、明治以来、何十年かのスパンで文体の変革や流行があり、私の考え方も少しく揺らいできた。これもこれも内田百閒氏の3冊の『阿呆列車』を読み通したせいかも知れない。国語審議会の一部の委員の主張されている通り、時代により『日本語』とは変化してゆくものかもしれない。そうは云っても最近の芸能人の一部や小ギャルの使う言葉にはまだまだ反感のほうが先にたつ。諸兄諸姉にはいかに考えられるだろうか。
(2005年7月29日)






















































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